[千里ニュータウン]
千里ニュータウンの角打ちは
老若男女が集まる場所だった。byスズキナオ
2023.01.02
東京から大阪に移り住んできた私は、外から来た者として大阪のあちこちを取材している。知れば知るほど大阪が好きになると同時に、自分がまだまだ大阪のことを知らないということを痛感する。
千里ニュータウンも、よく知らなかった場所の一つだ。"ニュータウン"という響きから、いわゆる新興住宅地で、住宅ばかりが静かに広がっているだけの町だという先入観を抱いてしまっていた。
しかし、実際に歩いて取材をしてみると、最初の住区への入居がスタートした「まちびらき」から60年が経つ千里ニュータウンには、住みよい環境の他にも、当然ながら積み重なってきた時間があり、その時間の中で変化してきたもの、変わらないものがあるのが(ほんの少しだけだが)わかった。

このひっそりとした街に角打ち!?
千里ニュータウン関連の情報を収集・発信している施設が、吹田市にある「千里ニュータウン情報館」だ。私はそこでスタッフを務める曽谷博之さんと知り合い、以来、千里ニュータウンに関することをいろいろと教わっている。「いなごや酒店」のことを教えてくれたのも、曽谷さんだった。
なんでも、千里中央にあるその「いなごや酒店」という老舗の酒屋は、千里ニュータウン内でも珍しい(おそらく他にない)「角打ち」スタイルの店だというのだ。「角打ち」とは、酒屋の店内でお酒を飲む行為・営業形態を指す。安く気軽にお酒を飲むことができるため、私個人もそういったお店が大好きなのだ。
私が住む大阪市内にはたくさんの角打ちがあり、散歩の途中で見かけては立ち寄るのだが、そんなスタイルのお店が千里ニュータウンにもあるとは。やはりまだまだ私は千里ニュータウンを知らなかった。

千里中央駅には梅田駅から北大阪急行電鉄に乗って20分ほどで着く。
駅名の通り、千里ニュータウン内でも中心となるエリアで、駅前には「せんちゅうパル」「オトカリテ」といったショッピングセンターや「千里阪急」「ヤマダ電機 LABI LIFE SELECT 千里」などがあり、買い物にも便利で人通りも多い。

というかそもそも千里中央駅からして、ホームから改札階へ上るとその周りをぐるっと商店が囲む特徴的な作りになっていて楽しい。1972年から長らく愛されてきたショッピング施設「千里セルシー」こそ2019年に閉館してしまったが、とにかく駅や駅前は賑やかな印象である。

だが、駅から「いなごや酒店」を目指して10分ほど歩くのは、駅前の喧騒の方が幻だったかと思えるほどに静かなエリアだ。団地が立ち並び、あちこちに公園やプレイロットがある。千里ニュータウンはもともと住居や公園と道路との距離をゆったり取るような設計になっているから、車の音も届かず、本当にひっそりしている。


まわりに緑が多いから空気が美味しい気もして、暮らすにはよさそうだが、しかし本当にこの先に角打ちがあるのか……と不安になってもくる。

ニュータウンと年月を重ねてきた酒屋。
あきらめずに歩いていくと、夜道の先にお店の入り口が見えてきてホッとした。
カウンターの向こうで出迎えてくれたのは、この店のスタッフを務める松田健太郎さんである。

まずは生ビールをいただきつつ、松田さんにお店のことを詳しく教えてもらうことに。

いなごや酒店はもともと、今の場所にほど近く、現在工事中の「新千里東町近隣センター」にあった。創業50年以上になる老舗の酒屋で、それこそ、1970年の大阪万博の頃、万博関係者が飲むためのお酒を大量に配達したりもしていたらしい。
しかし、営業形態としてはあくまでシンプルな酒屋で、店内で飲食ができるような店ではなかった。

そこに変化が生まれたのは5年前のこと。
別の仕事をしていた松田さんが、叔母が社長を務めるいなごや酒店に対して「角打ちを始めてみては?」と提案したというのだ。松田さんはさらにその数年前から日本酒の美味しさに魅入られ、その世界の奥深さにどっぷりハマり込んでいた。自分が美味しいと思う日本酒を、手軽に地元の人に味わってもらいたいという気持ちがあったという。
「ここら辺の人って飲みに行こうと思ったら千里中央駅まで行かないといけないんですよ。でも千里中央の駅前って人も多いし、パジャマ着ていくような感覚では行けないじゃないですか。ここやったら気楽に来れるんで」と、その思いを語る。

角打ちを始めた当初は地元の限られた人々や松田さんの知り合いにしか認知されていなかったが、松田さんのおすすめする日本酒が美味しいという評判がじわじわ広がり、地元客も多くなり、遠くからこの店を目指して来る人も増えてきた。
以来、5年間、松田さんがお店に立てる日に限定して、角打ち営業を続けている。
「最初の頃は、SNSで告知してるのを見て来てくれた人に『うちの近所にこんな店が欲しかった』って言ってもらうことが多かったんですけど、5年経って地元の人がだいぶ増えて『近所にいなごやがあってよかった』って言われるようになってきたんです。それが嬉しくて。やっぱりここに住んでる人が喜んでくれないと意味がないんで」と松田さんは言う。

角打ち営業を始めて4年後の2021年、店舗がもともとあった新千里東町近隣センターの再開発プロジェクトのため、いなごや酒店も移転することになった。店舗も角打ちスペースも綺麗になり、常連客にも喜ばれているという。

松田さんの日本酒の話を聞きながら。
松田さんの日本酒選びには独自のこだわりがある。それは人のつながりに重きを置いている点だ。
「取引する蔵元さんにしても、一緒に飲んでいて面白い人であることが大事だと思うんです。短期的な売り上げのことじゃなくて、5年後、10年後の話ができる人。うちに卸してもらっても爆発的に売れるわけじゃない。でも、そのかわり僕がしっかりとその美味しさを伝える努力をします。そこをわかった上で、一緒に日本酒を盛り上げていこうと話せるような蔵元さんがいい」と語る松田さんが自信を持っておすすめするのが、「浅芽生」で知られる滋賀県大津の「平井商店」と、「松みどり」が有名な神奈川県足柄上郡の「中沢酒造」だ。

どちらも、蔵元としっかりコミュニケーションを取り合い、実際に松田さんが現地に行って、その蔵が地元の人々にどんな風に愛されているかまで確かめた上での付き合いだという。
明治時代に農学博士の中沢亮治氏によって発見された酵母を使って醸造された中沢酒造の「松みどり 純米吟醸 S.tokyo」は、いなごや酒店の常連にもファンの多い一品。ワインのようにも思える華やかな香りが特徴的で、関西ではいなごや酒店でしか扱っていないものなんだとか。


小学生が元気に挨拶しながら入ってきた。
また、お酒選びと同じぐらいに松田さんが大事にしているのが地元の子どもたちだ。
店では夏にかき氷、それ以外の季節はクレープを作って提供していて、どちらも子どもたちに大人気らしい。小学生は100円引き、中学生でも「中間テストが終わった日は100円引き」だという。

松田さんはこの店を子どもが安心して出入りできる店にしたいのだそうだ。
「僕にとってはその子らは10年、15年後のお客さんなんですよ。今って若者のアルコール離れって言われるじゃないですか? それってね、酔っ払いに対してネガティブなイメージがあるからやと思うんです。子どもらが大人になって社会に出て、最初に見る酔っ払いって大抵の場合は泥酔者なんです。近所の人らが楽しく飲んでるのを見て育ったら、きっとその子らは『お酒っていいもんなんやな』って思ってくれる気がするんですよね」という。

また、松田さんは子どもたちに対して、この店に入る時にはきちんと挨拶をすること、お酒を楽しむためのカウンター席は大人の世界で、そこにはいろいろなマナーがあることなどを積極的に教えるようにしている。実際、取材時もクラブ活動帰りの小学生が店にやってきて、大きな声で挨拶をしていた。

松田さんは子どもたちに話し相手としても信頼されていて、中学生の女の子に「最近、彼氏できてん」とのろけられたりもするという。そういう子が未来のある日にこの店にやってきて、美味しいお酒を飲んでいる姿を見るのが松田さんの夢らしい。「泣いてしまうんじゃないですかね」とつぶやく。

美味しいお酒を飲みながらお話を聞いていると、いろいろな人がやってくる。 近所のマンションに住んでいて「いつもいなごや酒店からお酒を配達してもらっているけど、今日初めてお店に飲みに来てみました」と語る女性や、千里中央駅前で飲食店を営んでいる店主やそのご家族、美味しいお酒を求めてくる日本酒ファンなど、一般的な角打ちではあまり交わることのなさそうな人たちが集まり、コミュニケーションが生まれている。

松田さんは千里中央駅から少し離れたこの場所で角打ちをやっていることが「めちゃくちゃ面白いですね」と言う。「ここってすごく居心地がいいんですよ。人情味がある町やなと思いますね。ニュータウンってそういうイメージないと思うんですけど、50年も経って、だんだん村っぽくなってきたのかもしれないですね」とのこと。

ここまで書き忘れていたが、この店の飲み物は生ビールでも日本酒(一杯90ml)でも300円(この価格設定のおかげで「3の段の計算がめっちゃ早くなったっす!」と松田さん)。さらに月に1回、1000円でいろいろな日本酒が飲み比べられるイベントも開催されている。美味しいお酒が安く楽しめる、なんとも贅沢なお店なのである。


やっぱりとても静かだった帰り道に。
取材後、千里中央駅までの静かな夜道を引き返しながら、ほろ酔いゆえのぽかぽかとした温かさを体に感じつつ、夜のニュータウンに灯っているいなごや酒店の明かりを思い浮かべた。
松田さんは「今、クレープを食べてる子らが20歳になって飲みに来てからが、いなごやの角打ちの本当のスタートだと思っています」と言っていた。あの明かりが、いつまでもこの静かな夜の片隅に灯っていて欲しいと思う。



いなごや酒店
住所/豊中市新千里東町3-3-120-108
営業時間/10:00~21:00(角打ちは18:00~22:00(L.O21:00))
※角打ちは日・月曜休)
電話/06-6872-2612
Instagram: @inagoya
取材・文/スズキナオ 撮影/西島渚 編集/竹内厚