[千里ニュータウン]
「森の子教室」をはじめて26年、
津雲公園で子どもたちの根っこを育み続ける
2023.06.20
1998年にスタートした「森の子教室」は、千里ニュータウンの津雲台にある津雲公園をフィールドに活動している幼稚園です。主宰の田畑祐子さんと3歳児から5歳児の子どもたち20人は、毎週3日間、自然豊かな森が残る公園で1日中過ごしています。3人の子を育てあげた祐子さんは、自身も子育てに奮闘するなかで「森の子教室」を立ち上げ、子どもたちと向き合い続けてきました。そんなパワフルな祐子さんの根底にある思いや、子どもたちに伝えたいこととは?
「森の子教室」の活動日に津雲公園へおじゃまして話を聞きました。
※写真記事「森の子教室の時間」もあわせてご覧ください。
自然が豊かな公園で、生きる深さを感じてほしい
―「森の子教室」をはじめたきっかけは?
私が社会人としてスタートしたのが中学校の美術教師だったんです。着任したのが吹田市のなかでも荒れに荒れた中学校で、美術の準備室にいるとヤンチャな子が集まってくるんですよね。そのうちに友だちになって話を聞いていると、自分が暮らしてきた世界と、彼らが暮らしてきた世界との違いにカルチャーショックを受けてしまって。夜中まで一人で家で過ごしている子や、お金だけ置いて何日も親が帰って来ない子がいたり。私は生まれも育ちも千里ニュータウンなので、同じ吹田市の中でこんなにも違いがあるのかと!
中学校としては非行防止のために、小学校の教師と連携を取っていたんですが、ヤンチャな子たちのことを「小学校のときはかわいかったんですけどね」って言うんです。そのうち小学校でも学級崩壊などの問題が出てきて、幼稚園や保育所の先生に話を聞くと「幼稚園のときはそんな子じゃなかった」って。
子どもたちの心を育むのに遅いタイミングはないと思うし、根本には家庭や地域の問題があるけれど、私としてはもっと早い根っこになる時期にどんな経験をしてきたかが大事だなって、初めて勤めた中学校で感じたんです。
私自身が一人目を出産して半年が経ったときに、大きなことはできないけれど、とにかく今できることをはじめようと、1988年に自宅を開放して「アトリエ自由学校」をスタートしました。それが毎週土曜日になると近所の小学生や中学生がやりたいことをして過ごせる場所になっていったのですが、今度は、今日やったことを次の日も連続してできる、子どもたちの生活の中心となる場所をつくりたいという思いが強くなり、「森の子教室」を一人で立ち上げました。

― 活動のフィールドとして公園を選んだのはどうしてですか?
「森の子教室」をスタートする原点になったのが、園芸会社で働いたときの経験です。美術講師を辞めてデザインの仕事をしていた時期に、ある園芸会社のデザインを担当していました。そこは庭師のおじいちゃんが営む昔ながらの植木屋さんが出入りされていて、そこで働かせてもらえることになったんです。
朝早くから夕方まで木を剪定したり、掃除をしたり、重い荷物を運んだり。1日中野外で仕事をするという経験をしたことがなかったので、レジャーや旅先で外に出かけるのとはぜんぜん違う感覚があることに感動しました。
大きなお屋敷の庭の剪定へ行くと、10時と3時におやつを出してくれました。夏は冷たいもの、冬は温かいものが出てきて、その一口がすごく幸せで! 1日ずっと野外での仕事は心地いいことばかりじゃないけれど、生きる深さを感じたというか。その経験が活動拠点を公園に決めた根底にあります。

― 千里ニュータウンにはたくさん公園がありますが、津雲公園を選んだのはどうしてですか?
千里ニュータウンのあっちこっちで遊ぶ子ども時代を過ごしていたので、主なニュータウンの公園はよく知っていました。千里南公園や古江台の公園など候補はありましたが、津雲公園は広場もあるし、中央に雑木林の森があって、昔懐かしいドカンの遊具もある。今は水は流れていませんが、水路にはトンボが飛んできてヤゴが泳いでいました。一つの公園にいろんな側面があって、中規模公園で子どもたちが熟知できる。子どもたちは自分たちの活動場所を隅々まで全部把握できることで愛着が湧いてきます。偶然にも津雲公園は申請を出せば広場で運動会もできたので、毎年、盛大な運動会をやっています。子どもは20人だけど、森の子のOBや保護者が200人以上も集まるんですよ。今振り返ってもいい場所を選んだなって思いますね。


― 今では全国的に「森のようちえん」という活動がありますが、「森の子教室」をはじめたころは日本であまり認識されていなかったですよね。
そうですね。立ち上げた当時も諸外国には「森のようちえん」と言われるシステムはあったと思いますが、私は知りませんでした。後に「森のようちえん全国ネットワーク連盟」が設立されて、「森の子教室」も加盟しているのですが、15年以上前にはじめてフォーラムへ行くと、参加団体の中で「森の子教室」が古株だったことに驚きました。園舎を持たずに野外だけで活動しているようちえんはかなり少なかったですね。
「森の子教室」は特に「森のようちえん」を意識したわけではなく、今の日本の中で子どもたちを取り巻く環境に疑問を感じて、今自分のやれること、子どもたちと一緒にやりたいことをはじめただけなんです。北欧ではじまったと定義されることもある「森のようちえん」というカテゴリーにははまらないですが、自然体験や少人数というキーワードの根底にある思いにはつながる部分があると思います。
― いわゆる「森のようちえん」との違いはどこだと思いますか?
「森のようちえん」と違うところは、森の子を修了したOBとの関わりです。ここまで密で長く続いているところは他には絶対ないと言い切れます!
運動会をするときは、OBがスタッフとして全部手伝ってくれますし、今通っている子どもたちが付けている名札もOBの小学生や中学生の手作りなんです。そうやってOBとつながっていることが森の子の何よりの宝ですね。何年か前にアトリエ自由学校30周年、森の子20周年の周年イベントをやったときには、どの年代の子も来てくれて抜けた学年はありませんでした。高校生や中学生になった子たちが今でも私の無茶振りに応えてくれます。
― 大人が言うと反抗したくなる思春期の子たちが無茶ぶりに応えてくれるってすごいですね!
これまでに積み重ねてきた関係性があるのと、みんな私のこと大人と思ってないからちゃうかな(笑)。

「先生」ではなく「仲間」として、20人のうちの1人でいたい
―「森の子教室」の方針や特色を教えてください。
「森の子教室」では年長さんを1番さん、年中さんを2番さん、年少さん3番さんと呼び、縦割りの縦軸と同学年の横軸のバランスの中で活動をしています。
「今日はこれをします」という予定を一方的に決めるのではなく、誰かがこれやりたいと言い出したことをみんなでやってみたり、昨日の続きを膨らませて遊ぶこともあります。私がやりたいと思うことを伝える場合もあるけれど、そこで大事なのは祐子(私)が言ったからやるんじゃなくて、「やりたい」か「やりたくない」かを子どもが判断する。「うーん…」「いいよ」「やりたい!」などいろんな返事が返ってきますね。
― 子どもは忖度なしですよね。
そんなことないですよ! 大人の顔色を見ていますから。これが正しい、正しくないに縛られている人も多いです。先生の言うことが正しいし、お母さんが言うことが正しい。「いいよ」をもらわないとできない子どもが多いです。自分で1回やってみて失敗することが前提ではなくなっています。
すでに○✕が身についてる人とは、自分の気持ちをストレートに出せる関係をつくることが一番難しい。まずは大人が言っているからやらないといけないという関係を崩さないといけないんです。

― 祐子さんは先生ではないんですか?
先生じゃないですね。言葉にするのは難しいけど、仲間に近いかもしれません。私としては子どもたちと50:50になれる部分が多いほうが心地いいから、そういう部分をいっぱい持ちたいと思っています。ただし、いざとなったら祐子がぜったい守ってくれるという安心感があるからこそ、子どもたちは自分の思いついたことや大胆なことを思い切ってできるのだと思っています。いざとなったら祐子は自分のことを「信じてくれる」「守ってくれる」という存在。先生とか導くとかいう存在ではない、それ以外の部分ではただの20人のうちの1人でいたいと思っています。なかなかそうはいかないけれど、それが一番気持ちいい関係ですね。

「森の子教室」のバトンを次の世代へつなぐ
― 親御さんと話をする機会はありますか。
送り迎えのときに話しますし、お家におじゃますることもあります。子どもたちの暮らしている匂いとか、空気感とか、森の子の時間以外でいつも見えているものの目線を感じに行っています。高層マンションの上の階に住んでいたら、この人はいつもこの高さから空を見て暮らしているんやなあって。自転車で来ている人の家へ行くときは、自転車で行ってみたりもします。この風のなか時間をかけて来ているんやな、雨の日は濡れながら到着してるんやなあとか、子どもたちの背景を想像して感じたいんです。
親は子どもたちのルーツであり、バッググラウンドですから、親のことを知ることは子どもを知ることになります。保護者との雑談もいっぱいです。

― 子どもたちにとって、そこまで向き合おうとしてくる大人はいないと思います。
きれいな声かけよりも、必死で向き合おうと一生懸命あぐねて何とかしようとしているということが、本当の意味での安心感につながると思っているんです。ただ、それしかできないだけなのですが。相手と本気で向き合いたいと思っても一方通行ではしんどい。祐子を求めてくれる人がいるから、私も向き合うという経験を積ませてもらたのかなって思います。

― はじめたときは「森の子教室」が26年続くと思っていましたか。
私のモットーは「とにかくはじめよう!」と行動することです。森の子をスタートする10年前に土曜日のアトリエ自由学校をはじめていますが、その時も自分にできることは小さいけれど、四の五の言わずにとにかくやってみる。最初の一歩が出なかったらどこにも進めないし、計画ばかりを立てていても仕方がない。とにかくやってみようではじめたけれど、一緒に歩んでくれる子どもたちや保護者がいたからこそ続けてこられました。
26年間は、支えてくれた息子たちも含め一緒に生きてきたみんなの結果です。
― 今後やりたいことはあるんですか。
実は、「森の子教室」を2023年度で引退するんです。

― そうなんですね! 引退するのはいつ頃から決めていたんですか?
5年くらい前に引退することは保護者に伝えていました。「森の子教室」は私だけのことではなく、子どもたちやOBたちの人生の根っこにもなる場所。森の子たちを支え、時にはリードし、近くで一歩前を歩んでくれるOBたちが後輩を育てて関係をつなげていこうとしているのに、その場所をなくならせるわけにはいかない。森の子の今後を、OBや現役保護者みんなで考えてきました。
今度は森の子の生き方を大切に思う人に、「とにかくはじめよう!」と行動を起こしてほしいと望んでいます。
― いつか「森の子教室」を卒業した子がバトンを受け取る日が来るかもしれないですね!
今スタッフとして一緒に過ごしている小春は、森の子7期生なんです。森の子で育った人がスタッフになるには時間がかかると思っていたし、一緒にできるとは思っていませんでしたが、こうしてつながっているからこそ森の子の新しい未来が見えてくるはずです。

森の子教室
活動場所/津雲公園(吹田市津雲台)を中心に野外で活動
活動日時/週3回(月・水・金)10:00~15:00
→ https://www.morinoko-k.com
取材・文/西川有紀 撮影/坂下丈太郎 編集/竹内厚