陸奥賢インタビュー
教えるのではなくみんながしゃべる「まち歩き」と
アジールでインキュベーションな「梅田」の話。
2022.12.29
暁鐘成の墓、阿呆陀羅経、牛の藪入り、圓頓寺のサギ、大石内蔵助の父、大阪プールの飛び込み台、大阪駅の初代駅長、屋上ビアガーデン、怪盗イナズマ小僧、ゴモク山の妖怪、渋谷ビール、線路小屋のタアヤン、ソーライス、谷三兄弟、TKPゲートタワービル、兎我野の鹿、歯神社、ワールド、王仁博士……謎のコトバが並んでいるようですが、これは本サイトの記事「梅田のまち歩き辞典」で紹介したものです(これでもほんの一部!)。
この全項目のネタ出し・執筆をいただいてるのが陸奥賢さん。「大阪まち歩き大学」学長です。コモンズデザイナー、観光家、社会実験者といったいろんな肩書きとともに、独立した個人事業主として活躍する陸奥さんのまち歩き論、梅田論を伺いました。
真実3嘘8のまち歩き
―大阪まち歩き大学 学長ということですが、実は運営は陸奥さんおひとりで。
そうなんです。いちびって学長を名乗ってるだけでね(笑)。ひとり学長、ひとり事務局で全部、自分の手弁当でやってます。
―大阪まち歩き大学のまち歩きってどんなスタイルなんでしょう。
一応、1コースにつき約2時間、定員は8名くらい。そもそも大阪の人が大阪のことを知らんでしょ。なので、大阪の人が大阪の街を歩いて楽しみましょうという趣旨で、外の人よりも大阪に暮らす人にこそ来てほしいんです。
―地域外より地域内の人を対象に。それもちょっと変わってますね。
定員8名と言いましたが、ほんとは地声でしゃべれる5人くらいが理想で、まち歩きが終わった後は喫茶店に行ってだべりたい(笑)。そう思ったら、あんまり人数多いと喫茶店にも入りにくいから。
―喫茶店でだべる、までがセット。
そう。もちろん、「じゃあ、私はここで」で帰ってもらってもいいんやけど。そもそも僕は、ガイドというよりもファシリテーションとしてまち歩きをしたいんです。「こんな話ありまっせ」と話題提供はするけど、その先はみんながしゃべることを促したい。そのほうが面白いんですよ。

―ポイントごとに準備した内容を、"立板に水"のごとく話すのがまち歩きガイドかと思いこんじゃってました。
いやいや、僕はもっとキャッチボール的な場をつくりたいんです。よう言うてるのは、僕のまち歩きは「真実3分に嘘8分」やと。
―思った以上に嘘が多いですね(笑)。
僕自身アカデミシャンではないし、歴史というもの自体、新しい資料が発見されたら変わってしまうもの。それに、先人たちの思いや生きざま、死にざまをいちばん伝えたいことやと思ってるので、そうなると物語や創作に近づくところもあって。
―講談のようなもの?
近いところありますね。で、さっきの数字、足したら11になるでしょ。
―あ、10をオーバーしてる(笑)。
僕が語ると大げさになるところがあるんですよ、その分、1分足してある(笑)。実際、3割も本当のことを話せてるならすごいことやと思います。市井の人間として街のウワサ話や最近あった事件のことも言いたいし、「ほんまかどうかわからんけど…」っていううさんくさい話も伝えたい。

―まち歩きってまさに語りの現場ですもんね。そう考えると、固定されたテキストの形で、ましてやウェブ記事としての掲載は不向きでは。「梅田のまち歩き辞典」のことですけど。
せやからどうしても、今いる人たちに迷惑にならない範囲を探るので、歴史の話に寄ってしまうんです。まち歩きの現場では、実体験とかもまじえながらしゃべってます。
―そこは大阪まち歩き大学へゼヒ、ということですね。まち歩き大学のサイトには41コース掲載されてますが、実際、何コースのネタがありますか。
大阪府内まで広げたら500コースくらいはいけるんちゃうかな。
―おおっ! 陸奥さんは「大阪あそ歩」立ち上げから関わってましたもんね。
そう、そこで300コースくらいはつくったので、それも合わせるとね。今は自分で主催してるから、来てくれる人さえいたら自分が死ぬまでやれるんで(笑)。

梅田が抱える生々流転のダイナミズム
―梅田というまちを陸奥さんはどう見てますか。
梅田は、大阪のなかのアジール中のアジールやと思ってます。
―つまり、周縁の自由領域的な場所だと。
そうです。大阪というまちは、キタ/ミナミというくくりで語られがちですけど、僕はそうは捉えてなくて。キタ、ミナミいうのも、船場から見て北の新地、南の新地というだけなんで。むしろ「上町台地」「船場」「七墓」の3つで大阪を捉えたほうがええんちゃうかな。
―新鮮な区分ですね。
まず、「上町台地」は大阪の背骨です。難波宮、四天王寺、大阪城があって、大きな歴史から大阪を語るときはここの話になる。で、「船場」というのは近代大阪、大大阪というキーワードにもつながって、船場~中之島で語られる大阪論もありますよね。このふたつで大阪が語られやすいけど、実はキモにあるのは「七墓」。

―「大阪七墓巡り復活プロジェクト」も実施されている陸奥さんらしい表現ですが、そもそも七墓というのは。
かつて、鳶田(飛田)、千日(千日前)、小橋(東高津)、蒲生、葭原(天六)、南濱(豊崎)、梅田という七墓があって、江戸時代にこの七墓巡りが流行したと言われています。今の大阪でいえばだいたい環状線沿いにあたる場所で、中心部から外れた外周部分。そこに墓があり、劇場や遊郭があり、追いやられた人が住みついたり、これからのし上がっていくぞという人が出てくる場所でもあったんですね。
―七墓に梅田が入ってるのが興味深いところ。
再開発工事で実際にうめきたから1500体の人骨が出てきたことがニュースになりましたよね。あれがまさに梅田墓に埋葬されてた人たちで。
―墓、人骨とだけ聞くと、条件反射的に怖い…となりそうですが、そういう話じゃなくて。
そうです。歴史的に七墓と呼ばれた場所なのは事実ですし、中心部でなく周縁だったということ。で、その匂い、アジール性は今でも残ってると感じます。

―たとえばどんなところでしょう。
思いがけない路地だったり、ぽつんとお寺があったり。なによりも生々流転のダイナミズムがいちばんあるのが梅田ちゃいますか。何かができて、なくなって、できて、なくなって、できて…。だから、今でいうたらインキュベーションを繰り返してきた場所ともいえます。
―グランフロント大阪にインキュベーション施設があるのは必然。
そうかもしれませんな(笑)。大阪のまち歩きの面白さって、その日々変わっていく移ろいみたいな部分を見ることやと思います。変わらないものじゃなくて、変わりすぎやでいうくらいに変化していくものに目を向けること。
―なるほど。ちなみに、陸奥さんがひとりで歩いてるときは何を見てますか。
ふらふらと歩きながら、すでにいなくなった先人たちの痕跡を見つけると楽しくなりますね。 そもそも街って基本的に先人の遺産だと思ってますけど(笑)。すでにこの世からいなくなった人たちがつくったものだらけじゃないですか。
―言われてみればそうですね。何十年とそこにあるようなものがごろごろと。
そう。けど、京都みたいに1000年単位じゃなくて、大阪にはころころ変わっていく面もある。だから、栄枯盛衰というのか、生々流転する姿を楽しむべき。それが僕が思う梅田の楽しみかたですね。

陸奥賢
1978年生まれ。大阪市住吉区生まれ、堺の新金岡団地で育つ。高校中退でフリーターとなり、放送作家、ライターなどを経験。2008年から13年まで「大阪あそ歩」に携わる。「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「歌垣風呂」などを企画・立案・主宰。大阪まち歩き大学学長。
※大阪まち歩き大学のスケジュールについては
→http://mutsu-satoshi.com/
※陸奥さんとの連続記事企画「梅田のまち歩き辞典をつくろう!」では、梅田にまつわる35項目のあれこれの話、エピソードを紹介中!
→https://karigurashi.net/tag/machiaruki-jiten/
取材・文/竹内厚 撮影/ayami