「栄食堂」でほろ酔い気分 byスズキナオ

[HAT神戸シリーズ]

「栄食堂」でほろ酔い気分 
byスズキナオ

あるWebサイトに、“神戸・三ノ宮から大阪・西九条まで歩いて飲み会に向かう”という主旨の体験記事を書いた。なんでそんなことをしたかと言えば、「歩き疲れた後で飲む生ビールはいつもより美味しいんじゃないか?」と思い、それを確かめてみたかったのだ。

結果的に、ジョッキの生ビールは後光が差して見えるほどにたしかに美味しかったのだが、普段から運動不足気味の自分が30kmほどの距離を歩いた肉体的、精神的ダメージは予想以上に大きく、しばらくの間は三ノ宮の駅に降りると本能的に「イヤだ。歩きたくない……」と思ってしまうほどであった。

歩いていて一番キツかったのが、足の痛みよりも距離の遠さよりも、空腹との戦いだった。スケジュール上、より道をしている時間はなかったので、途中、どんなにいい雰囲気の飲食店があっても入ることができない。とりわけ、この看板をスルーしなくてはならないのが辛かった。

なんとぷっくりと美味しそうな玉子の黄身だろうか……。醤油を垂らし、箸の先でチャカチャカかき回して輝く白米と一緒にかきこんだら、どれほど幸せなことか……そもそも、なんでこんな苦しい思いをして歩かなくてはならないのか。自分で立てた企画のバカバカしさに腹が立ったものである。

それから月日が流れたある日、私は阪神電車岩屋駅にほど近い「栄食堂」に入ろうとして驚いた。「あっ!これは、あの時食べられなかった玉子かけご飯の店じゃないか!」と。そう、あの看板の店こそがこの「栄食堂」だったのである。

しかし考えてみればこの店がある地点は、三ノ宮から大阪までの道のりのまだ序盤だ。心が折れるのがだいぶ早かったな。

とにかく、あの時どうしても立ち寄りたくて仕方なかった店にようやく入れる。
期待を胸にのれんをくぐったところ、まず目の前にたくさんの惣菜が並ぶ冷蔵ケースが見え、それがどれも美味しそうで、なるほどこういうものを好きに選んで食べてよくて、うん、ビールもお酒もメニューにあるし、なんだ! 素晴らしい店じゃないか、とうれしくなった。もし取材の途中でこの店に入っていたらそれで一日が終わっていたかもしれない。

この店のハムエッグは、真ん中で切った半円状のハムに二つの目玉焼きが挟まれるように配置されている。

神戸に住む文筆家仲間の平民金子さんという人が、藤子・F・不二雄『21エモン』に登場するロボットになぞらえて「ゴンスケ」と名付けて著書の中で取り上げているのを読んで、ずっと食べてみたいと思っていたのだ。

なるほど「ゴンスケ」みたいだ。「これください」とお店の方に言うと「あたためますね」と持っていってくれる。

瓶ビールをもらってハムエッグをつまみにしてゆっくり飲み、もう一つ惣菜の小鉢を追加。そして締めに「和風ラーメン」も注文。私がそんな風に堪能している間、タクシーの運転手さんかと思われる格好の男性がうどんを食べていき、学校帰りかと思われる高校生が4人組で来てモリモリご飯をほうばり、もちろん私のように明るいうちからビールを飲んでいる人もいて、それぞれが好きなように食事をして過ごすことが許されている空間という感じがして、「これはいい店だ!」という思いがさらに強くなった。


今回、「栄食堂」に取材を受けていただくことができ、改めてじっくりとこの店の隅々を眺めた。

明るくて清潔感がありながら、落ち着きをおぼえるような雰囲気。テーブル席、カウンター席が気分や利用人数に合わせて選べるゆったりした広さ。並ぶ惣菜小鉢の品揃えの豊富さ。玉子かけごはんの黄身の鮮やかさ。肉吸いのダシの甘み。

その甘さに冷えたビールの苦味をぶつける心地よさ。

お店の方の距離感もよくて、適度に“放っておかれる感じ”があり、ついつい長居してしまうような店である。


店長をつとめる金沢吉美さんに少しだけお時間をいただき、お話を伺った。

― 「栄食堂」は創業何年になるんでしょうか。

47年になりますね。この店舗は25年前にできて、それまではここの隣りの建物で食堂をしていて、さらにその前はうちのおじいちゃんとおばあちゃんが焼肉屋をやっていたんです。食堂はうちの父親が始めてね。

― 焼肉屋さんから食堂へと変わってはいるけど、それも含めると長い歴史があるんですね。

「マルキン」っていう焼肉屋で、私が生まれる前からやから、おじいちゃんおばあちゃんが30年ぐらいはやっとったかな。父の代になって、焼肉屋さんは他にも近くでやってはるお店があったからやめて、この辺には食堂がなかったから、食堂やろかって。

― 焼肉屋さんの頃も含めると吉美さんが3代目ということですよね。ここの2軒隣りにも「さぬきうどん さかえ」というお店がありますけど、あそことはどういう関係なんでしょうか?

あっちも父が始めた店で、最初は喫茶店をしたんやけど、なかなか儲からなくてね(笑)。喫茶店やったり、スナックも中華もやったりいろいろして、ほんで最後うどんに落ち着いて、震災の後にうどん屋として始めたんです。

― この「栄食堂」にもうどんのメニューがありますけど、あっちでも同じものが食べられるということですか?

いや、味付けもちょっと違うし、なんていうんかな、向こうはもっと力を入れてうどんをやってる(笑)。うどん、そば専門やからもっと本格的なんよ。

― 同じ系列だけど別のお店ということなんですね。

そう。向こうは営業時間もお昼だけでね。

― そうだ、営業時間なんですけど、「栄食堂」は朝5時40分からオープンして閉店時間の22時まで中休みがなくて、通し営業なんですよね?

そうなんです。だんだんとうちで働く人たちも歳いってきて、しんどなってきてるけどね。そやから年中無休はやめて、今はお正月だけちょっと休みをもらってるんです。

― お休みはお正月の三が日だけっていうことですか?

そうですそうです。昔は年中無休で、お正月も盆もなんも関係なかったんです。親戚が亡くなった時でも閉めなかったほどで。

― そこまでですか。それはなぜなんでしょうか。

父親の方針いうんかな。「どんな時でも店は開けとかなあかん」言うて。「誰がどんな時に来ても開いてる店いうのが大事や」ってね。大変やけどね。みんないつくたばるかわからない(笑)。うちで洗い場やってくれてるおばちゃんなんか85歳ですよ。85歳でよう動くの! 頭が下がるんよ。私らが85になったらあんな動けるかなって。

― お店の従業員さんは何人ぐらいいらっしゃるんですか?

男の人が今3人で、女の人が10何人かな。義理の妹と私の娘と、あとはみんなよそから働きに来てくれてる人。うちは一度勤めてくれたら、長くいてくれるからね。20年、30年おる人が多いんよ。みんな家族みたいやね、そんだけおったらね。

― みんな和気あいあいとしている感じが厨房から伝わってきます。

ほんと? ありがとう。お客さんにも「ここには金のわらじを履いた従業員がいますね」って褒められるぐらい。

― 金のわらじっていうと……。

それぐらいよく働くいうことよ。動いても動いても擦り切れない丈夫なわらじいうことやな。「一つ年上の姉さん女房は金のわらじを履いてでも探せ」って言うやん。今、言わん?

― いやいや、私の勉強不足です! お客さんもいろんな方がいらっしゃいますよね。近くにタクシーが停まってるなと思ったら運転手さんが食事されてたり。

うちはサラリーマンの人も、労働者の人も、最近は女の人も来てくれるし、タクシーの運転手さんも多いし、まあみんな歳いってね。今まで長く来てくれた人が来なくなって、入れ替わってきてるけどね。

― 朝早くから来る人も多いですか?

多い多い。シャッター開けたら、のれん出す前に入ってくる人もおる(笑)。もともとうちの父親が会社に勤めてて、朝早くに出ていくんやけど、この辺で朝に食事するところがないからいうて、それでこういう営業時間になったの。5時40分って中途半端な時間やけど、6時にここのすぐ近くにバスが来てたんよ。20分あればご飯食べてバスに乗れるからって、それでその時間なんよ。

― なるほどそのバスに乗って働きに出る人のための時間設定なんですね。

そうそう。そういう人が食べられる店を作りたいというのが、食堂をやる最初の原点かな。今はもうそのバスは近くに停まらなくなったんやけど、開店の時間はそのまま変えてない。毎日その時間に来てくれる人も多いからね。

― 朝早くから晩まで、お店のみなさんも大変ですね。

2交代制でやってるけどね。朝から14時までと、14時から夜までの人と。中休みもないから大変やけど、「いつも来る人がこの時間になったら来るやろな」って思ったら閉めたくても閉められへん。

― お客さん思いというか、そういう気持ちが伝わってきます。メニューも多いですよね。

増えていってるねん。私が増やしてみんなに怒られるねん(笑)。作る人にしたら手間が増えるからな。昔はちゃんぽんと焼きそばぐらいしかなかったのに。たとえば「高菜チャーハン」。あれはね、私が友達と京都の居酒屋行った時に出てきたんよ。それが美味しかってん!「これ、私もできるわ」思て(笑)。

― そうやって、美味しかったものがメニューになっていくんですか。

そうそう。全部もう、マネして(笑)。「赤い丼」いうのは、親子丼にキムチ入ってるだけなんやけど、クセになるよ、めっちゃ美味しい。キムチは私が漬けてんねん。

― そうなんですか!「赤い丼」もどこかで食べたのがきっかけでメニューに採用されたんですか。

いや、これはな。テレビで見てん(笑)。

― 気軽に始まるのがいいですね。

始めるとやめられないから大変やけどね。ちゃんぽんも昔は1種類しかなかったんやけど、カレー入れたらいいんちゃうかとか、ちゃんぽんに辛味噌を入れたのをまかないで食べている子がおって、「これ美味しいで」っていうから、ほな邪魔臭いけどしよかって(笑)。

― 惣菜もたくさんありますし。

あの惣菜は手作りで朝みんなで作って、毎日、違うの。作る人が3人おるからね、交代でやってる。その人ごとに得意料理があるから同じものはできない。その人の料理やねん。シェフによってちゃうねん(笑)。

― その日ごとに違うものが食べられるんですね。あと、初めて「栄食堂」を通りかかった時、玉子かけごはんの看板が目に入って、すごく印象的だったんです。

ありがとう。玉子かけごはんは結構人気やね。「蘭王」いう大分の卵が美味しいって業者の方にすすめてもらって、「ほないっぺんやってみよか」って。玉子かけごはんにお味噌汁と小鉢つけてね。「蘭王」は黄身がすごくオレンジで、玉子かけごはんにだけその卵を使ってるの。醤油も玉子かけごはん専用にちょっとアレンジしてるんです。いくつか醤油をブレンドして、みんなでちょっとずつ舐めて「どんなんが合うかなー」いうて。

― そうだ、ちなみにハムエッグの独特の配置は……。

えー、珍しいかな? お皿にちょうどおさまるかなーって、それだけやね。とにかくお皿に入ったらいいかなって。

― 気になっていたので聞けてよかったです(笑)。この岩屋あたりは吉美さんの地元なんですか?

そうです。私はここで生まれ育ってるからね。昔はいろんなお店があったけど、そんなんもみんな地震でつぶれてしまってね。この店舗がある場所も建物がつぶれて、地震の後に建て直したんよ。

― 吉美さんがお店を手伝うようになったのはいつからなんでしょうか。

震災の後です。その前からも手伝うことはあったんやけど、地震の影響で従業員さんが辞めたりして、いなくなってしまって、お父さんに「頼むから食堂入ってくれ」いわれて。それまでお料理したことなかったもん。お嬢さんやったから(笑)。

― 震災後も食堂はすぐ再開されたんですか?

1ヵ月ぐらいで再開したんやったかな。ガスはプロパンを買って、水道は大きいタンクを運んできて水を入れ替えて使って。チョロチョロとしか出えへんから洗いものが大変やった。そういう状況でもお父さんはできるだけ早く開けたいと。待ってるお客さんもいはったからね。

― お話を伺っているとお父さんのポリシーの強さをすごく感じます。

お父さんが食堂しよう言うてなかったらやってなかったな。

― ちなみにそのお父さんは……。

元気元気! 95歳になるんやけど、今でも隣の事務所の2階に座ってるよ。(店内に備え付けられたカメラを指さして)あそこにカメラあるやん? あれで見張ってんねん。サボってるやつおらんかいうて(笑)。

― ははは。あのカメラは防犯カメラじゃなくてお店の方の見張り用なんですね。


吉美さんが仕入れに出かけていった後も、私はのんびりと瓶ビールを飲み続け、すっかりほろ酔い気分で店を後にした。

国道2号線の大きな道路を挟んだ向こうにはHAT神戸の新しい町が広がっていて、ここには朝早くから遅くまでお客さんをほぼ年中無休で待ってくれている「栄食堂」がある。その対比がちょっと面白い。ちなみにHAT神戸があるエリアは吉美さんの幼少期の遊び場でもあったそうだ。

町の中には新しく変わっていく部分と歴史を積み重ねていく部分があって、どちらが正しいとか間違っているとか、こっちが大切でこっちはそうじゃないというような優劣があるわけではない。

そこに住む人たちの様々な思いがバランスを取り合いながら少しずつ町の輪郭を変えたり景観を更新したりしていく。変化したように見えるものの中に、ずっと変わらずに引き継がれているものを見出したり、反対に、古くから続いているものの中にすごく柔軟で新しいものを見つけたりするのが私は好きで、それで町歩きがやめられないんだなと、そんなことを考えながら帰り道を歩いた。

栄食堂
兵庫県神戸市灘区岩屋中町5-1-11
営業時間/5:40~21:00
定休日/なし

取材・文/スズキナオ 撮影/西島渚 編集/竹内厚

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