陸奥賢さんと
梅田のまち歩き辞典をつくろう! 06

[梅田シリーズ]

陸奥賢さんと
梅田のまち歩き辞典をつくろう! 06

ターミナル、地下街、高層ビルで埋め尽くされたように見える大阪・梅田。ですが、実はまち歩きにも適した、さまざまな歴史と文化の積み重なったエリアなんです。
大阪各地のまち歩きをガイドしている陸奥賢さんにお願いして、梅田がもっと楽しくなるキーワードを少しずつ紹介してもらいます。今回は、幕末大阪のトリックスター・暁鐘成をはじめ、タアヤン、手塚太郎ら、それぞれにドラマが1本つくれそうな人物も次々と登場しますよ。


暁鐘成の墓
[あかつきかねなる-の-はか]

大淀中4丁目の勝楽寺に暁鐘成(1793~1861)の墓があります。京町堀の醤油商「和泉屋」の生まれですが、若い頃から聡明かつ変わり者で有名でした。心斎橋筋博労町で京都御所を模したという(!?)土産物屋「鹿の家」を作り、「手前味噌」という妙な名前の菓子などを販売して繫盛しましたが、天保改革の影響で閉店に。その後、本格的に文筆業に精を出し、地誌、名所図会、軍記、随筆、教訓本、滑稽本、洒落本、犬の飼育本(「犬狗養畜伝」)まで書き、幕末大坂最大の作家となりました。

:暁鐘成は晩年、百姓一揆に加担した罪で牢屋に入り、釈放後、急死しました。多才で変わり者で牢屋に入った知識人といえば江戸には平賀源内がいますが、暁鐘成も平賀源内級のトリックスターで、もっと注目されていい人物でしょう。暁鐘成の分家筋には朝日新聞創業者の木村平八・謄(のぼる)の父子がいます。

阿呆陀羅経
[あほだらきょう]

天野屋利兵衛の屋敷
[あまのやりへえ-の-やしき]


牛の藪入り
[うし-の-やぶいり]

梅田墓地
[うめだぼち]


圓頓寺のサギ
[えんどんじ-の-さぎ]


大阪プールの飛び込み台
[おおさかぷーる-の-とびこみだい]

大阪タワーとゴモラ
[おおさかたわー-と-ごもら]

大阪駅の初代駅長
[おおさかえき-の-しょだいえきちょう]

屋上ビアガーデン
[おくじょう-びあがーでん]


怪盗イナズマ小僧
[かいとういなずまこぞう]


キタの九階
[きた-の-きゅうかい]

明治22(1889)年、茶屋町の遊園地「有楽園」内に9階建て・高さ39mの「凌雲閣(りょううんかく)」が作られました。前年には、日本橋の遊園地「有宝地」に5階建て・高さ31mの「眺望閣」が造られていたので、この2つのシンボルタワーは「キタの九階」「ミナミの五階」と呼ばれてなにわっ子に愛されました。高層建築物を作り、都市景観を楽しむ時代の幕開けで、梅田スカイビルや通天閣、あべのハルカスの大先輩といえます。旧梅田東小学校跡地の門前に凌雲閣の碑があります。

:凌雲閣の何がすごいか?というと、これが「木造」であったこと。できた当初は本当に大丈夫なのか?と100人の警察官が9階に上がり、一斉に足踏みして強度や耐震を確かめたとか。警察官全員で「100人乗っても大丈夫!」とやったかどうかは知りません。


空中庭園大明神
[くうちゅうていえんだいみょうじん]


ゴモク山の妖怪
[ごもくやま-の-ようかい]

江戸時代、天満堀川北側の塵芥(ゴミ)捨て場に「ゴモク山」がありました。異臭悪臭で大変なので万延元年(1860)、天満の同心・小西文吾が何とかしようとしますが、住民は「妖怪が出る」と怖がって近づかない。そんなことがあるものかと満月の夜に文吾が隠れていると、なんとゴモクに足が生えて大ムカデとなりました。文吾は隙を見て斬りつけましたが、次の瞬間、大ムカデは文吾をくわえて、そのまま天満堀川に飛び込んで消えてしまいました…。

:文吾が斬り捨てたムカデの尻尾は現場に残り、ピクピク動いていたとか。この騒動の後、天満堀川の溺死者が増加して大ムカデの祟りといわれたそうです。このゴモク山は現在の扇町公園あたりにあったといわれています。大ムカデが逃げ込んだ天満堀川も埋め立てられ、いまは川の影も形もありません。妖怪もビックリの変化でしょう。


渋谷ビール
[しぶたにびーる]


線路小屋のタアヤン
[せんろごや-の-たあやん]

岐阜の農家に生まれた清水太右衛門(1853~1907)は、両親を早くになくし、先祖伝来の田畑を失いました。大阪に出てきて国鉄の踏切番(当時の踏切は手動でした)になりますが、教養のある人物で、踏切小屋で面白い昔話やお化け話をするのでこどもたちから「タアヤン」と呼ばれて親しまれたとか。ところがある日、女の子が線路内に入りこみ、なんとか救助しますが自身は汽車と接触し、殉職してしまいました。勇気ある行動に大阪中から香典、義援金が集まり、それで太右衛門の弟は先祖伝来の田畑を買い戻すことができたといいます。

:タアヤンは岐阜県羽島郡小熊村から大阪まで出てくるときに、あまりにお金がなく、国鉄の汽車賃が払えないと徒歩でやってきたとか。『鉄路の花』という紙芝居にまでなっていて、戦前の大阪では有名な話だったようです。戦前の顕彰碑は空襲でなくなり、戦後、国鉄が「清水太右衛門殉職碑」を建立し、現存しています。


ソーライス
[そーらいす]


大日本ドケチ教
[だいにほんどけちきょう]

谷三兄弟
[たに-さんきょうだい]

タレベン
[たれべん]


TKPゲートタワービル
[てぃーけーぴーげーとたわーびる]


手塚太郎と大阪控訴院
[てづかたろう-と-おおさかこうそいん]

大阪高等裁判所はかつては大阪控訴院といいました。明治19(1886)年から明治25(1892)年まで大阪控訴院(大阪始審裁判所)で検事正を務めたのが手塚太郎、あの手塚治虫の祖父です。文久2(1862)年、江戸で生まれ、司法省法学校を首位で卒業。大阪時代には関西法律学校(現・関西大学)創設に携わりました。日本全国各地の裁判所を転々としましたが、晩年は宝塚で過ごし、手塚治虫が4歳の時に没しました。手塚治虫の漫画『陽だまりの樹』にも一瞬だけ登場しています。

:手塚太郎は関西法律学校で先生も務めました。フランス民法の講義をしたそうですが、それがチャキチャキの江戸っ子弁で、学生たちのあいだで大評判だったとか。学校設立当初は手塚太郎はまだ24歳(!)で学生たちと歳も近く、話があったのかもしれません。


兎我野の鹿
[とがの-の-しか]


ナマズ稲荷
[なまず-いなり]

菜種御殿
[なたねごてん]


歯神社
[はじんじゃ]


福永稲荷大明神
[ふくながいなりだいみょうじん]


松下幸之助の水道哲学
[まつしたこうのすけ-の-すいどうてつがく]

ワールド
[わーるど]

王仁博士
[わにはかせ]

参考文献:
『摂陽群談』(著・岡田渓志) 雑誌『郷土研究 上方』(創元社) 『大阪人物辞典』(編・三善貞司/清文堂) 『大阪史蹟辞典』(編・三善貞司/清文堂) 『朝日 日本歴史人物事典』(朝日新聞社) 『北区史』(編・大阪都市協会) 『大淀区史』(編・大阪都市協会) 『大阪駅物語』(編・朝日新聞大阪本社社会部/弘済出版社) 『鉄道碑めぐり』(編・日本国有鉄道総裁室文書課)


陸奥賢

1978年大阪生まれ。「世界観に光をあてて揺さぶる」をモットーに「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」「劇札」「歌垣風呂」「仏笑い」など、日夜、妙な遊びの仕組みを作って世間に広めている。


文:陸奥賢 編集:竹内厚

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