2000年に父から吉原住宅を受け継いだ吉原さん。それ以前は、実はまったく違う職種についていた。

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経験をデータにする研究者マインド

吉原:それまでは、製薬会社で臨床とかの研究系の仕事をばりばりやってました。ところが、父が70歳を越えて癌になりまして。自分としては最も継ぎたくない仕事だったんですけど、これも運命かなと思って、会社員生活に区切りをつけました。

継ぎたくなかったというのはどうして。

吉原:子どもの頃から、冷泉荘とかの物件の修繕に連れられてたんです。壊れたトイレを直したり、ペンキを塗ったり…すごく地味な仕事ですよね。
しかも、僕が高校生くらいの頃に父から言われたのが、「いま新築で建てていってるから、この借金が返せるのはおまえが50歳になった頃だぞ」って。そんな家業、イヤじゃないですか(笑)。

 
まったく畑違いの仕事をしていたはずが、思いがけず拍子に吉原住宅を継ぐことになった。当時、吉原さんは39歳。

吉原住宅、スペースRデザインで手がけた博多の物件に旗が立つ。すでに30棟以上。

吉原:不動産業をやってみると、これは、今まで自分が研究職でやってきたやり方を応用していけばやっていけると思いました。実際、引き継いだときには「6年後にはつぶれます」って税理士さんに言われた会社が、V字回復しましたから。
普通の大家さんでは経験しない、化学の分野を勉強してきたので、経験をデータとして出すことというのは僕の仕事観になっています。今でも僕は、実験をやっている研究者なんですね。

感覚的な経営ではなく、トライ&エラーを数字とデータで裏付けてきたと。

吉原:どうして医学の世界がこれだけ進歩してきたかというと、世界中の研究や実験結果を学会で発表して、それを教わりあって、これまで治らなかった病気が治るようになってきました。
だから、僕らも成果はオープンにして、使えるところはURさんでも誰でも使ってほしいというスタンスなんです。今回のような取材って、つまりは学会発表をやってるようなものだから、とてもうれしいんですよ。

ペットボトルで稲を育てる「たのしイネ」プロジェクト。冷泉荘の屋上では、断熱材の代用にならないかと温度などのデータも計測中。

まさに研究者的なマインドを持ち続けている吉原さん、リノベーションプログラムを軌道に乗せた後、その次に目を向けたのは建物にコミュニティを仕込むことだった。

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*前編 はこちら


THE BORROWERS

借り暮らし、貸し借り、賃貸にどんな可能性がひそんでいるのか。多彩に活躍する方々へのインタビュー取材を通してその魅力に迫ります。いいところ、大変なところ、おもしろさ、面倒くささ…きっといろんなことが浮かび上がるはず。

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