Interview

いろいろな角度でまち・団地を”語る”専門家のお話。新たな一面が発見できるはず。

専門家が語る まち・団地への想い

泉川獅道さん(音楽家・尺八奏者)

団地のひとインタビュー 024

生まれ育った故郷に“かえる”人々を包み込む団地の温かさ

3歳から高校を卒業するまで千里ニュータウンで育った泉川獅道さん。自身は、道路を挟んだマンション住まいでしたが、団地に暮らす友達とよく遊んでいたそうです。子どもの頃に遊んだ団地の思い出、団地で子育てをしたいと思われた理由、そして自身の音楽活動のテーマにもなっている「かえる」という言葉の意味について、千里津雲台団地(大阪府吹田市)を訪ねながら伺いました。

泉川獅道さん(いずかわ・しどう)
音楽家・尺八奏者。大阪芸術大学大学院卒、芸術博士。幼少より西洋音楽の専門教育を受けながら育ち、ピアノや音楽理論、さまざまな楽器の演奏法などを学ぶ。大阪芸術大学音楽工学専攻に進学、最先端の現代音楽・電子音響音楽に出合い、その創作研究に専念、その過程で都山流尺八竹琳軒大師範、湯浅富士山師、虚無僧尺八研究の第一人者、志村禅保師に出会い尺八を吹き始める。APEC観光大臣会合など国際舞台でも活躍。現在、大阪芸術大学講師。東洋音楽学会、情報処理学会ほか会員。

千里津雲台団地を訪れて、子どもの頃の思い出がよみがえりますか?

泉川:社会人になるまで暮らした千里ニュータウンには、団地やマンションが多く、ほとんどの友達が団地に住んでいました。思い返すと、小学校、中学校への通学時には、団地の中を通り抜けて行き、帰り道はベンチに座ったり、公園で道草したり。とにかく子どもが多く、休日の公園は子どもたちであふれていました。そうそう、こういう木を見つけると、よくみんなで競って登りました。小さい子が登ろうとすると、年上の子が助けてあげたりしてね。こうしていると、いろいろな思い出がよみがえります。

 

団地内では、どんな遊びをしていたのですか?

泉川:団地内では、なんでも遊びのネタにしました。友達と5階まで階段を登る競争とか。流行りのデジタル腕時計を持つことが子どもたちの憧れで、ストップウォッチ機能を使ってみんなで計りました。でも、階段はもっと広い感覚でしたし、最上階から見下ろすとすごく怖かったのですが。大人になると、子どもの時の記憶とは、スケールが違っています。
空を見上げて、住棟の「アルファベットと番号」を確かめるのも、団地ならではの風景だと思います。ただ、団地は、住棟のデザインが似ているので、棟を間違えて知らない人の家の玄関チャイムを鳴らしてしまったこともありました。「あ! 間違えました。すみません」って感じでしたよ。こういうふうに「大きな文字でC28」と書かれていると間違えないですね。

 

団地内ではみんなに見守られていると感じていましたか?

泉川:今でも、休日の公園には子どもの姿を見るのですが、私が子どもの頃は、毎日公園で遊んでいました。夕方になると、小さい子から順番にお母さんが迎えに出てきて、だんだん子どもがいなくなり、あちらこちらから夕食のいい匂いがしました。子どもながらに一日が終わる寂しい気持ちを感じていました。でも、いつも上級生が見守っていたし、大人たちも買い物途中にこっそり見ていたんでしょうね。していいこと、してはいけないことのルールが自然とあったように思います。

 

泉川さんも子育て中と聞きました。住み心地はいかがですか?

泉川:今、千里ニュータウンで全力子育て中です。私が子どもの頃と違って、ずいぶんお年寄りの姿が多く、東京の巣鴨のように、独特の活気がある充実した福祉の街になっていると感じます。一時期のニュータウンは子どもたちが巣立ち、若者が少なくなって寂しさを感じる時期もありましたが、最近はベビーカーを押しているご夫妻をよく見かけるようになりました。
私の両親がそう思ったように、「ここで子育てをしたい」という夢を描ける街に、また戻っているのだと思います。うちの子どもたちも地域のおじいちゃんおばあちゃん、隣近所の人たちに見守られながら、元気に育ってほしいと思っています。


息子さんと団地内の公園で遊ぶ泉川さん

 

音楽活動のテーマ「かえる」は団地暮らしにも通じますか?

泉川:音楽家として、コンサートや講演で「かえる」というキーワードを伝えるようにしています。つまり、「家にかえる」「故郷にかえる」「我にかえる」「振りかえる」「土にかえる」。朝、家を出て、夜、家にかえる。故郷を離れ、盆正月に実家にかえる。行き詰った時は初心にかえる。父母のもとに生まれ、いつか土にかえる。そんなふうに考えていると、生まれ育った風景は、いくつになっても優しく包んでくれる場所だと、いつも感じさせてくれますね。千里ニュータウンで、いったいどれだけの人が育ったのかと考えさせられます。半世紀を超える人々の営みを支えてきた千里ニュータウンには、暮らしを支えてきた歴史が息づいていると思います。それこそが、世代を超えて住み続けられる安心感だと思っています。


「千里ニュータウンの空撮写真(1963年撮影)写真中央赤枠内が千里津雲台団地」

 

音楽活動に、団地で暮らした記憶は影響していますか?

泉川:はい、影響を受けていると思います。私は、ニュータウンの先端的で豊かな環境の中で育ちました。でも、便利さの上に得られなかったものや足りないものを求めて、伝統音楽の世界にかえり着いたと思っています。人はより良い暮らしを求めて、歳を重ねるにつれて歴史や伝統を重んじるようになり、長く住み続けた土地に安堵を感じます。団地にも歴史や伝統が息づいていますが、まだまだ成熟過程だと思います。なぜならば、歴史や伝統は、住んでいる人たち、これから住む人たちが脈々とつながり創るものだと思っているからです。

 

団地に明るい未来を感じますか?

泉川:もちろんですよ。これからは、コミュニティのあり方が日々問われるグローバル社会の中で、団地も大切な役割を担っていくと思います。私が子どもだったあの頃の団地に感じていた「おおらかさ」や「ゆるさ」や「あたたかさ」は、私たち日本人が築き上げてきた他人と関わりあう心、信じる心と許す心、いろんな人を受け入れる労わりや心温かさに通じます。それらの日本らしいコミュニティは、このまま団地にしっかり根付き続けると思いますし、それが大きな魅力だと思います。

URと大阪芸術大学が実施しているアートプロジェクト「ココロツナガル しらさぎプロジェクト」では、「しらさぎの舞」の作曲と演奏を泉川さんが担当されています。
アートプロジェクト記事はこちら

取材場所:吹田市津雲台二丁目1番・2番

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