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今日も団地では楽しい笑い声が聞こえます。人と人がつながる”団地暮らし”の魅力とは。

人と人がつながる 団地暮らしの魅力

富田団地 澁谷会長のインタビュー

富田団地自治会長を長く勤められている澁谷哲男さんに富田団地への思いやコミュニティ活動などについて、お話していただきました。

澁谷哲男さん(しぶたに・てつお)

富田団地自治会長で、精力的に富田団地のコミュニティ活動や地域のコミュニティ活動を行っています。 趣味は写真撮影。 建設後間もない頃の写真や催しの数々の写真をご提供いただきました。

~いつも温かく迎えてくれる故郷(ふるさと)を、次の世代につなげたい~

澁谷会長が富田団地の自治会長になられた経緯を教えてください。

澁谷会長:富田団地が管理開始された昭和46年、私が29歳の時に富田団地に入居しました。昭和40年代から50年代にかけて、高槻市の人口増加率は全国で10位以内という状況でした。当時の富田団地も私と同年代の若いご夫婦や子どもも多く賑やかで、子ども会の人数も400人位の時期もありました。子ども会のスポーツなども盛んで、子どもたちを中心に大人の交流もさかんでした。子どもが小学生の時にPTA会長をしていたためか、自治会の役員になるよう勧められて、自治会の役員を引き受けました。自治会の広報部、事務局長そして会長になりました。当時は、みなさん自治会への関心も高く、自治会の加入率も80%以上で、住民同士の連帯感も非常に強かったです。

 

会長になられて25年近くなるのでしょうか?

澁谷会長:はい、それぐらいになります。毎年自治会役員を引き受けているうちに、内情を一番よく知っているからと、会長に推薦して下さり、気が付けば長い年月が過ぎてしまいました。ただ今では無責任に、私から「すぐに辞めるとは」とは言いにくい状況です。「もう澁谷さん交代やで」と、どなたかが言ってくださるといいのですが・・・。他の自治会役員さんも、ボランティアとして長年頑張って続けてくださっていることに感謝しています。こうして、役員として続けられることは、団地の皆さんに助けていただいているからです。なにより、私が会長になり、一番心掛けていることは、団地の住民の皆さんのお役に立てればという気持ちで活動することです。いずれにしても、住民の皆さんのご理解とご協力に感謝しております。

 

団地の高齢化が進んでいますね。ご苦労はありますか?

澁谷会長:高齢化は、富田団地に限った問題ではありません。いまでは社会全体が高齢化していますが、昔の高齢者と今の高齢者では心身ともに暮らしぶりが違うと思います。それよりも、一人暮らしの方の安否が心配です。孤独死という寂しい思いをさせないために、高齢者のご家庭や一人暮らしの方には緊急連絡・安否確認の登録カードの記入をお願いしています。ご近所の方から、「〇〇さん、ここ数日お見かけしないんですよ」と相談された時にご親族の情報があれば、迅速な安否確認が可能です。現在、自治会には60人ぐらいが登録しています。みなさん、「自分は大丈夫や」と過信されていますが、万が一を考えて、ぜひ登録してほしいと思います。

今日も元気であることを知らせるために毎朝、住人さん自身で玄関扉に黄色のリボンを

 

個人情報の漏えいを心配する人もいるのではないですか?

澁谷会長:はい、個人情報の管理は徹底しています。登録カードなどの個人情報は、専用のファイルに綴じ、カギのかかるボックスに保管し、カギの管理は責任者のみで行っています。そしてなによりも、個人情報の管理以上に大切なのが、同じ団地に暮らす住民の命です。登録されていた人が、住民の気づきで命を取り留めた事例もありますので、いつでも自治会にご相談ください。

 富田団地で作成したカード。高齢者以外でも希望する住人さんにお渡ししています。

 

住民同士のつながりが、住みやすさにつながりますね。

澁谷会長:富田団地にお住まいの多くの方は、故郷を離れて富田団地に住んでおられます。私も子どもを育てていた頃に、私の小さい時の故郷の事を思い浮かべることが多々ありました。子どもの頃にあった祭りや様々な故郷の行事を楽しみにしていた思い出は何歳になっても懐かしいものです。同じように、富田団地で生まれ、育った子ども達は富田団地が故郷です。心に残る故郷の思い出を残してあげたいという気持ちから、いろいろな行事をするようになりました。これは私たち大人の責任です。

うの花喫茶での住民同士の交流の様子

 

コミュニティの広がりも魅力ですね。

澁谷会長:コミュニティの始まりも、故郷の思い出づくりからです。コミュニティセンターの広場での催しも世代間交流をおこなう大切な行事です。例えば、夏祭りや運動会は団地に入居して間もなく行いましたが、スイカ祭り、芋ほり焼き芋大会、大根収穫祭などは比較的新しく、少子高齢化で閉校された牧田小学校の跡地にコミュニティセンターが出来た平成19年から続けています。地域の人が交流を深められるよう、コミュニティセンターの広場の一画に畑をつくろうと、資金集めのために「オーナー制度」をつくり、集まった資金で畑をつくりスイカ・トマト等の農作物を植えて、1年を通じて、地域の方が収穫を楽しむことができています。12月に行う「大根収穫祭」では畑で採れた大根を災害時の釜で炊き、皆さんに食べていただくだけでなく、災害時の訓練にもなっており、まさに一石二鳥です。 

左:子ども達と一緒にジャガイモ堀り
右:採れたて新鮮のふかしたジャガイモをみなさんにお渡し

 

澁谷会長が思い描く富田団地の未来は、どんな風景ですか?

澁谷会長:コミュニティセンターの畑の周りに、りんご、なし、柿などの果樹を植えています。団地で育ったメタセコイヤの伐採後の材木を活用してベンチも作り、果樹の下や近辺に設置しました。近所の子ども達やおじいちゃん、おばあちゃんがベンチに座り、その木の下で、りんご、なし等を採って食べながら、素敵な時間を過ごせる楽しい世代間交流ができれば、と考えています。また、富田団地には「ここは終の棲家やな」とおっしゃる方が多く、高槻市立福祉センターや図書館やプールもすぐ横にあり、日常の生活は非常に便利で楽しいです。恵まれた生活環境で自然環境も豊かな富田団地の素晴らしさを子ども達にも継承しながら、さらに快適な団地になるように変化していけたらと考えております。近年、小学校の新入生も少しずつ増加しています。若い人が移り住み、根づいて自分たちの故郷づくりに、積極的に参加してほしいと思います。富田団地で育った子ども達を中心に、若い世代が根づき、思い出多い故郷をつくっていってほしいと思います。

 玉川牧田コミュニティセンター


左:団地で育ったメタセコイヤを活用したベンチ
右:玉川牧田コミュニティセンターの畑でつくったリンゴ

 

 ~子ども達にとっては富田団地が故郷です~

何時になっても心に残る故郷のこと
私たちは何歳になっても、故郷のことを思い浮かべます。その故郷の思い出が、生きていくことの支えになっている時がしばしばあります。悲しいときも、昔の故郷の風景、幼馴染との事を思い浮かべて、生活のエネルギーとしている時が度々あります。子ども達の富田団地での生活が、たとえ1年間でも、その富田団地の1年間が一生心の片隅に残ることでしょう。

子ども達のために良い思い出の残る故郷をつくるのは私たち大人の責任です
大人にとっては、ややもすれば殺風景な共同住宅ですが、これまで以上に子ども達に夢を与える、楽しい思い出の残る富田団地にいたしましょう。・・・花と緑、そして人情のある楽しい、住んでいて良かったと言える、富田団地にしよう。皆で協力しあえば、不可能はありません。子どもが孫を連れて帰ってくる楽しみのある団地になるよう皆で力をあわせましょう。 

左:竣工当時の富田団地(40棟~36、24棟に向かって)
右:現在の富田団地(40棟~36、24棟に向かって)

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